よっぴースペース

社会人三年目休職&インドネシアへ留学中の26歳アラサー♀。

【自己紹介】よっぴーについて

初めまして。ブログを始めましたよっぴー(@yoppie92)です。
第一回目の記事は簡単に自己紹介を(最終更新:2018年8月)。

自己紹介

簡単なプロフィール

プロフィール写真
1992年6月生まれ、茨城生まれ茨城育ちのよっぴー(YOPPIE)です。

茨城大学教育学部情報文化課程卒業。

今は、インドネシア政府が主催するダルマシスワという奨学金制度にてインドネシアジョグジャカルタという街にある、ガジャマダ大学でインドネシア語を勉強しています。

学生時代には副専攻で日本語教育を学び、日本語教育の教育実習とインドネシア語の勉強のために、インドネシアインドネシア教育大学で一年間の交換留学をしていました。

旅行も地元も大好きで、複数拠点生活が出来るようにしたいと考えています。

インドネシア語なら一通り話せるようになりました。
2019年6月までが留学予定なので、何か繋がれることなどありましたらどしどしご連絡ください!

ブログで書くこと

主にインドネシアネタが多くなりますが、下記のようなことを書いています。

  • インドネシアでの留学ネタ
  • 一人旅・旅行ネタ
  • 働き方・生き方について

ブログを通して、自分の考えを発信し、更新し続けたいと思っています。

目指していること

目先で目指していること

インドネシアでも出来ること、インドネシアだから出来ることってなんだろうと日々模索しています。

とりあえずインドネシアとんでもなく広い国なので、色んなところに行ってみたい(スポンサー欲しい)。

中長期で目指していること
  • 複数拠点生活
  • 世界中どこでも働ける人間になる
  • 世界中すべての国に友達を作る

誰もがそうだとは思うのですが、「自分で納得感のある生き方」をしたいと考えています。

人も少なくて決して栄えていない寂れた町だけれど自然もあって食べ物も美味しい地元も大好きだし、新しい人(文化・食べ物・考え)と出会える旅も大好きです。

だからそれを自分で積極的に選択できるような生き方を作りたいのです。

SNSアカウント

今回の留学のタイミングからTwitterも一新し、インドネシア語(日本語字幕付き)Youtubeもはじめました。

ぜひフォロー&登録、お願いします!

おまけ:これまでのよっぴー

もっと知りたくなっちゃった人が奇跡的に居たらどうぞ(ハート)

  • 1992年(0才)

茨城県に生まれる、人口3万人以下のめっちゃ小さな町です。
七才上の兄とともに、タケノコが庭から生えてきたりボットントイレだったりするど田舎マイホームで育つ。

  • 1998年〜(6才):小学校入学

全児童100人強の、地元の小学校へ入学。
兄の影響で少女漫画にハマり、月刊誌3冊(りぼん・ちゃお・なかよし)を小学1年から5年まで毎月欠かさず買って貰ってました。今考えると恐ろしい金額、お父さんありがとう。

  • 2000年(8才):父子家庭生活スタート

母を亡くし、教員の父親と7才上の兄との三人生活がスタート。当時、小学校二年生で8才でした。
田舎すぎて学童なども無かったので、習い事を増やしたり周りの人に支えられながらの父子生活。
日々が目まぐるしすぎてよくわかっていなかったけれど、周囲の大人たちから可哀想という言葉を掛けまくられて、自分が可哀想な人間なんだと刷り込まれた。。。

  • 2005年(12才):中学校入学

入学前の定期演奏会で見たリバーダンスに感激し、迷わず吹奏楽部に入部。部内一番音感が無く、トロンボーンを希望するもユーフォニウム担当に。
美味しいところ取りのユーフォニウムが大好きになる。
日々怒られまくり泣きまくり。体育会系な吹奏楽部でした。

バンドにハマる(BUMP OF CHICKENHYRADWIMPSBase Ball Bear)。

  • 2008年(15才):高校入学

水戸市の私立水城高校に入学。
ここにした理由は、家族で行くスキーが大好きで、受験が早く終わってスキーに行けるから。

吹奏楽を続けつつも、バンドにはまり、毎週水戸のライブハウスに通う日々。自称進学校で日々睡眠学習し、夜はやんちゃな見た目のお兄さんたちのライブを見て生きてました。

ハワイへの修学旅行が初の海外。パスポート一冊でこんな簡単に出られちゃうのかと衝撃を受ける。

高校三年の夏には硬式野球部が初の甲子園出場を果たし、吹奏楽部副部長として甲子園で応援演奏しました。
一回戦負けでしたが甲子園球場のあの広さと熱は、凄かった。

  • 2011年(18才):大学入学

地元の大学に行って欲しいという親の言葉の通り、一番家から近い茨城大学へ入学。

教育学部情報文化課程社会文化コースで、アートやら社会学を学びつつ、副専攻で日本語教育を選択していました。

学部の編成でもう廃止が決まっていますが、映像やアート・芸術、社会学などが勉強できる情報文化課程は自分の天国でした。
地方国立大学ということもあり、公務員や銀行などの仕事に勤めている友人もいますが、アーティスト、役者、写真家、ミュージシャンなどとして活躍している友人も沢山です。

  • 2013年(21才):短期留学→留学

費用等の都合で憧れていたアメリカ留学は3週間の短期留学で諦め、インドネシアへの交換留学を決める。
インドネシアのバンドンにある、インドネシア教育大学へ一年間留学しました。

学内初のインドネシアへの交換留学&学内初の海外での日本語教育実習を実施。
交換留学なのに大学のサポートもほぼ無いなか、全くインドネシア語が話せない状況で渡航し、食事も一人で買えない・乗り物も乗れないところからのスタートでした。

日本語教師になりたいと考えていましたが、日本語を学んでいる友人たちとのやり取りの中で自分の人生の経験の少なさに気付き、教育以外の世界に目を向けるようになりました。

2014年6月に留学を終え、「インドネシアで働くってどんな感じ?」をリアルに感じたいと思い、ジャカルタの人材紹介会社にてインターンシップ
日本語話者が居ないマーケティングチームとのやり取りが多く、学んできたインドネシア語を活かせる機会となりました。

このインターンシップを通し、新卒というカードが使えるなら使っておこうということで日本での就職活動を決意します。

  • 2016年(23才):就職

超!超!超!難航しつつも、都内のベンチャー企業に初の新卒採用枠で就職。
BtoBtoCのサービスで、法人営業を約二年続けていました。

(あとはまたちょっと増やしていきます)